症状即療法
東洋医学が西洋医学と大きく異なる一つの面が「症状即療法」という考え方です。
体に様々な症状が現れるとき、その症状は治癒のひとつの過程であると考えるのです。
一方で西洋医学では、症状を病気と考えて何とか症状を抑えようと薬や他の方法で対処します。
このように、症状を治癒反応と考えるか、疾病と考えるかで治療方針も180度変わることがあります。
例えば、風邪をひいて熱が出ている場合、ある程度の高熱になると解熱剤で熱を下げようとするのが普通です。
熱という症状を早く消失させる目的でそうするのです。
しかし、東洋医学や自然療法では、熱を下げるどころか、熱を上げるような薬草などを処方することがあります。
熱は体が治ろうとして生じているものなので、さらに熱を出すことが必要だと考えるのです。
実際に、風邪の場合に発熱が起きるのは、風邪のウイルスをやっつけるために体内でインターフェロンという物質が増えるのが原因です。
その時に熱を下げるというということは、ウイルスをやっつけようとする体の働きを逆に妨げることにつながるわけです。
瞑眩を恐れないこと
自分で健康になる道、つまり健康道を歩もうとする時にも、症状を病気と見るか療法と見るかは、大きな違いをもたらします。
なぜなら、症状を療法と見なければ、それ以上前に進めない状況が生じ得るからです。
これが「瞑眩(めんげん)」といわれる好転反応です。
体が弱っている時ほど、健康に良いことを実践するにつれて、一時的に症状が悪化していくことがあります。
より痛みが強く出たり、体がだるくなったりなど不調が色々と現れるかもしれません。
そこで病気が悪化したと考えるか、治癒に向かっていると受け止めるかは、その後の行動や気持ちの上でも大きく異なります。
症状の悪化を恐るなら、「こんなに症状が悪化するなら、この健康法は間違っている」と考えてやめてしまうことでしょう。
しかし、好転反応としての症状が現れているなら、せっかくの治癒のチャンスを逃してしまうかもしれません。
その結果、病院で薬をもらって症状を完全に抑えれば、一時的には楽になるかもしれませんが、病気自体は治癒していない訳ですから、今度は他の不調が現れるかもしれません。
その不調に対して、また薬が処方され、こうして薬漬けになっていくことになります。
一方、健康法を実践することによって症状が悪化しているとしても、「体が良くなるプロセス」と受け止めれば希望が湧きます。
確かに一時的にでも症状に悩まされるのはつらいことですが、健康に向かっているのですから、何も恐れることなく、そのやり方を続けていけば良いわけです。
この考え方に沿えば、症状とは一種の「膿み出し」と言えます。
古いものが除かれて、新しいもの、新しい体へと生まれ変わろうとして起きている現状なのです。
「膿み出し」すなわち「生み出し」が起きていると信じれば、不安も和らぎます。
ここでもバランス
ただし、症状即療法を過信することも危険なことです。やはりバランスが大切なのです。参考記事:偏ることで健康から遠ざかる
現れる全ての症状を好転反応と思い込んで限界まで我慢することで、時に生命の危機に陥ることもあります。
例えば、断食療法でも、もともと胃に潰瘍のある人が長期に行なうと吐血する 場合もあるようです。こうなると好転反応だからと放置するわけにはいきません。
また、薬に一切頼らないというのも極端な考え方です。
毎日つらい症状に悩まされ続けるなら、生活の質も落ちて、精神状態も低下します。
健康法を続ける意欲さえ失われてしまうかもしれません。
そのような状況で、症状を和らげるための最小限の薬を使うのは有益だと思います。
大事なことは、薬は症状を和らげているだけで病気を治すものではない、ということを意識することです。そして、症状を必要以上に恐れずに、自分で健康になる努力をやめないということです。
ー[おっちゃんの健康道]より引用ー